凍てつく冬も愛おしい人

転げ落ちるみたいに加速して沼に落ちた

ヲタク、息してます。

最後のはてブロ更新が1年以上前でなおかつ非常に辛気臭いというか後味悪い感じで終わっていることに気づき久々に記事でも綴っておこうかなと思っているところです。

 

新型コロナウイルスの影響で学校もバイトもない今、時間を持て余しているところなので早速参りたいと思います。

 

SnowManが6人から9人になったこの1年、たくさんの初めてに翻弄されました。

 

6人の頃のSnowManは死んだと思い、9人のSnowManは別物だと思い接しますみたいな捨て台詞を最後のブログに残してますが、私は今現在そこそこ楽しくSnowManのヲタクを続けています。

 

増員してすぐに滝沢歌舞伎ZEROの幕が上がり、京都に通う日々でしたが 個人的初日の行きしの電車でめめのブログ読んで号泣したことを鮮明に覚えてます。あのブログは賛否両論あった。私も確かにこの内容は賛否両論あるなとわかった上でも あのブログに痺れました。奮い立たされたし、何より 増員直後の翔太さんのブログがあまりにもケロッとしてて寂しかったから、人間味のあるめめのブログが嬉しかったんだと思う。確かその日は2/5だったんだけどこの日ふと1/17からだいぶ時間が経ったような感覚に襲われた。多分そのくらい当時、スノ担のメンタルは疲弊してたんだと思う。 私にとってアイドルはあくまでも趣味。趣味って自分の元気の源でなければならないのに 当時は正直辛かった。意識がある時間が辛くてずっと寝てたかった。きっと大学生活で1番辛かったことのトップ3の中に 増員のことは入ると思う。

 

南座での彼らは今思い返せばまだ歪で荒削りででも力強くて ある意味それも作品の一部だった。 2月の京都は本当に寒くて、普段関西で暮らす私は自担と少し距離が縮まって生活できるあの1ヶ月間が嬉しかった。翔太さん寒いけど何してるかな。ホテルに引きこもってばっかりかな。少しは京都楽しんでるかなとか気にかけてたなぁ。案の定翔太さんはホテルで引きこもってばかりだったみたいだけど。 それから2/22だったかな。翔太さんのマブダチ樹が南座見学に来てくれました。その日たまたま樹担と遊んでいたのですが、樹と物理的距離を縮めるため急遽河原町まで電車に乗って行ったのは今でもいい思い出です。

 

南座ではラウールは居なかった。もう6人のSnowManはどこにも居ない。9人しか居ない。でも南座での彼らのただならぬ気迫に圧巻された私は、一先ずSnowManから目を逸らさないことを決めていた。だけど発作的に6人が恋しくなり、苦しくなることもあった。友だちとの旅行先の宿で夜中に突然辛くなり明け方まで寝れないという悲劇もありました……

 

そしてTwitterでも色んな人の色んな意見が散乱してた。本当に様々だったし立場もバラバラ。その意見や言葉に触れる度にエネルギーを消耗してた、傷ついてた。それを打ち消すためにとSnowManが出ている雑誌、片っ端から購入して、リアルタイムの彼らの声に触れるようにしていた。彼らは本当のことは言ってくれない。でも嘘はつかない。彼らの口から出たことは真偽はともあれ事実になる。これは持論ですが 自担の発言はたとえ嘘でもそれに騙されて「あげる」くらいの気持ちでないとヲタクをやってられない。だから当時自分に真実を刷り込むため、貪るように雑誌を読み漁ってた。

 

 

3月になり、9人そろって初めてステージにたった横浜アリーナ。私は諸事情によりチケットはあってもスケジュールが都合付かず行けなかった。9人が極力ステージに経ち続けるような構成となっていた。MCもラウールを蝶よ花よともてはやし、謎の翔太君取り合いっ子合戦炸裂してて、どことなくスキンシップも多めで 見てるこっちが照れくさくなる感じ。でも明らかに2018年の春に横浜アリーナに立っていた彼らより頼もしくなっていたのは事実。

 

4月になり新橋演舞場の幕があがった。南座から1ヶ月空き、9人のお披露目とファンとのコミュニケーションを終えたSnowManの表情はどこか晴れやかで、肩の力が程よく抜けているように感じた。4/21の夜公演。センターブロック上手側の5列目の席、春の踊りはよーいやさーの時 翔太さんがゼロズレだった。頼もしかった。彼のソロであった My friend 聴く度にクオリティがあがっていて、公演に足を運ぶ度に 私、翔太さんのファンになってよかったって思わせてくれて。ヲタクとしてこの上ない幸せだと思う。

 

この頃からかな、SnowManはひっきりなしにテレビに出るようになった。ドラマ出演もあったし、事務所に推されてるぞ…って実感していた。世はそれをゴリ押しとも言う。

SnowManの露出が増え、SnowManを認知してる人々の母体数が増えれば、相対的にアンチも増える。心無い声も増える。そう思い、外野の声は聞こえないふりをしていた。

 

たとえゴリ押しだとしても、その巡ってきたチャンスをしっかりものに出来ればゴリ押しでは終わらない。SnowManは着実にチャンスをモノにし始めてるんじゃないかなと個人的には思う。

 

5月、たまアリでJrのコンサートがあった。私はチケットも無く、配信も見なかったのでここに関しては触れません。ただラウみちの青春アミーゴが脚が長すぎたことは知ってます。みっちー、絶対東京向きの性格してるよね。こらからもラウールと仲良くしてください!

 

8月8日。忘れもしません。私は東京ドームにはいませんでした。SnowManのデビュー決定が発表された。SixTONESとの同時デビュー。 動揺は隠せなかったけど、私は翔太さんの歌をCDで手に入れるという夢が叶う、好きな人の夢が叶うと思うと嬉しかった。

 

その後 Twitterでは肯定的な意見だけではない感じが見受けられた。その所以はスノ担である私でも安易に想像できた。他担のお友だちとも上手く話せなくなってしまったこともあった。こっちが勝手に色々勘繰ってるだけだけども。きっと私のお友だちでもよく思ってない子なんてたくさんいたはず。

 

SnowManはとても優しいグループだ。自分たちがたくさんたくさん悔しい思いをしてきた分、デビューは1人でも多くの人に祝福してもらえるシチュエーションだったらよかったのにね。

 

それぞれの立場に立てば色んな意見が出てくるのも分かる。この発表の仕方どうなんだろうとかSixTONESのこと考えたりすると、いつしかSnowManのデビューを素直に喜べていない自分がいた。 好きな人の夢なのに私最低だなって思った。

 

8月下旬私はようやくSummerParadise2019に出向いた。初めてスノ担として臨んだ現場もサマパラで、サマパラは私にとって原点である。また今年もTDCでSnowManに会えるのかと思うとすごく嬉しかった。浮かれてリッチに新幹線で当日東京入りなんかしちゃって、めちゃくちゃおめかししていったなぁ。気心の知れた友人と大好きなSnowMan、私にとって 水入らずの時間とはこのことや〜と思い非常にワクワクしていた。席も2回とも謎に良席で 自分はTDC限定で負け知らずだなと確信してしまった。まぁそれはさておき、久々にSnowManに会った私は、しみじみと愛情を育むというより 久々の距離と温度感でテンションが明らかにイカれてました。かっこよかったなぁ、翔太さん。

 

9月に入り、最後のストスノの、少年たちに行くことは叶わなかった。思い返せば2年前の少年たち、SixTONES目的で松竹座に行った際にはじめてSnowManに会った。そう思うと行けなかったことが悔やまれる。私は元々SixTONESの方が好きだった。もちろん今でもSixTONESというグループが好き。ストスノという2グループの関係性が好き。SixTONESら事務所が推さざるを得ない実力で人気を勝ち取り、最高にクレバーなグループ。そんな彼らはSnowManをすごく慕っていた。だからあまりVSのような売り出し方はして欲しくなかったというのが個人的意見。同時デビューとかしなかったら、今でもスト担に気兼ねなくストスノ好きだよって言えてたのかなと思うと寂しいです。世の中、事務所がなんと言おうとストスノは最高の仲間でありライバルテあって欲しい。

話を少年たちに戻します。私は自分が入らない現場のレポは基本流れてくるものを軽く見る程度のスタンスなのですが今回は貪ってました。スノスト15人が一人ひとりが日替わりでお手紙を読むというコーナーがありまして、もちろんレポなので受け取り手と会場での本人たちのギャップが少なからずあるはずですが ニュアンスを感じたくて毎日レポを漁ってました。 明るく前向きなことを言う子も入れば、泣かせに来る子もいました。でもこのレポを通して少し SnowManのメンバーの心に触れれた気もしました。 私がストスノが好きな以上に翔太さんはストスノが好きなんだなってことが伝わってきて嬉しかった。

 

ここからめっきりSnowManとスノ担が直接コミュニケーションを取れる現場はほぼ無くなった。そして年は明けデビューし、3ヶ月が経とうとしてる今もその目処は経っていない。

 

翔太さんは変わった。もちろんいい方に。翔太さんは2018年の横アリ以降徐々に徐々に角が取れて、9人体制になった2019年は『バブい』とまで言われるくらい丸くなった。SixTONESのメンバーにも昔はしょっぴー怖かったと過去形で言われるうになった。

正直、私は少しその現象に違和感を感じていた。 私が翔太さんを好きになりたての頃は当然まだ『バブみ』要素は今ほどなくて、私にとっては オラついてる人 機嫌にムラがある人 そういう印象だった。だけど外部の仕事が増えたり、加入メンバーを迎えたりと目まぐるしい環境の変化を受け、彼は変わった。ダンスも手を抜かないようになったし、歌も格段に上手くなったし、面白いこと言えるようになったし、仕事対する姿勢が変わった。嬉しい、この上なく嬉しいけど同時に無理して変わろうとしてるのではないか?って不安になってた時期もあった。『バブい』というのもキャラの確立のためにやってるのかとか無駄に考えちゃったりね…。だけど2019年秋ぐらいにとある雑誌で 翔太さんが過去の自分に関して、『どこか取り繕っていた』『今は仕事でも人に対してもナチュラルに接することができるようになった』と言っていて、嬉しかったし、どこか安心した。何事にも自然体で取り組めることって素敵なことだから、そんな風に過ごせている翔太さんが羨ましいし、私もそんな人になりたいなって思わされた。

 

2019年 SnowManが目まぐるしく芸能界の階段を駆け上がり、あっという間に遠い存在になってしまった。だけど、めちゃくちゃ嬉しかったこともめちゃくちゃ悲しかったこともどの記憶にもSnowManが、渡辺翔太がいて、もう私にとってこの人たちめちゃくちゃ大きな存在になっちゃってるんだなって気づいたら、この人たち見守っていかないとなぁって思う。翔太さんを好きになったから出会った人も経験できたことも沢山あって、それが無い人生なんて今となっては考えられないとなると 渡辺翔太の私の人生における影響力って大きすぎない…?

 

そんな翔太さん、私のアイドルでいて下さりありがとうございます。あなたを好きになった当初より私もだいぶ角の取れたヲタクになったと思っています。お互い日々成長ですね👍 翔太さんのアイドルとしての供給と私がアイドルに求める需要が一致しているうちは末永くよろしくお願いしますね。

 

デビューが決まって素直におめでとうって言えなかった私だけど、SnowManのファンである私は彼らを全力で祝福する権利と義務もある。早く 次の現場で気兼ねなくSnowMan にデビューおめでとうって伝えてあげたいな。 f:id:mollmollmoll:20200415213759j:plain